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小泉元首相の実家は、「小泉組」という曾祖父が作ったヤクザ組織。背中に龍、全身に刺青をしていたことで知られる祖父又次郎は、国会議員になる前に小泉組の3代目を継がされました。当時、現在の稲川会の母体である横須賀一家と小泉組の間に抗争があり、二代目の長男が殺されたためです。

当時、又次郎は、上野のあたりで職を転々として、家出状態。今でいうフリーターでした。それを跡取りがいなくなった曾祖父が連れ戻し、「堅気の商売ができなように」と手下に又二郎を押さえこせて全身に刺青を掘ったという逸話が「小泉又次郎伝」に記されています。

小泉家では、なぜか三代目を襲名したあとの又次郎は、「長男」として扱われました。名前に「次」を入れた通り次男であったことは、「小泉又次郎伝」にも書かれていますが、衆議院議員になってからの公的な資料では、又次郎は「長男」という届け出になっています。なぜなのか、調べました。

小泉家の関係者の証言によると、二代目の長男の名前は死亡とともに戸籍から消され、又次郎を長男に繰り上げる更生手続きがとられたのだといいます。つまり、ヤクザの抗争に敗れて死んだ長男は、小泉家の歴史から消されたのです。小泉家の菩提寺を隅から隅まで探しても、長男の墓はありませんでした。

どらえもんは、横須賀とかつて小泉家があった横浜市金沢区を歩き回って、関係者を取材しましたが、「長男」の名前すら誰も口にしようとしませんでした。それだけ、「小泉組二代目」のことは、タブーになっているということです。

小泉組三代目を襲名した又二郎は、ヤクザ稼業が性に合わないと二年余りで三男の岩夫に小泉組の家督を譲り、再度上京して東京毎日新聞の記者になります。記者時代に上野公園で聞いた岩倉具視の自由民権演説に心酔して政治家を志したのは、有名な話です。

小泉組は、元首相の大伯父にあたる4代目当主岩夫の時代に大きく発展します。横須賀港に入る貨物の荷揚げ屋から運送業、建設業へと事業を拡大。ついには海軍お抱えの業者として、台湾に海軍が軍港を作る際には、工事の一切を小泉組が仕切るまでになったと横須賀市立図書館の昭和初期の蔵書にあります。

小泉組4代目の小泉岩夫は、日露戦争当時、横須賀界隈の篤志家から寄付を募り、戦勝を祈念して成田山新勝寺に「戦勝祈念碑」を建立した。現在もその横に小泉岩夫の胸像が立っている。新勝寺境内に隣接した公園を少し入っていくと見つけることができる。

成田山新勝寺の「日露戦争戦勝祈念碑」建立から100年経った2005年春。3メートルほどの高さの塔の脇に腰の高さほどの「建立100周年碑」が立った。除幕式には出席しなかったが、ひときわ大きな文字で彫られた名前は「内閣総理大臣小泉純一郎」。防衛族宰相のルーツは軍の政商・小泉組だった。

http://sun.ap.teacup.com/souun/2572.html
[1606] Posted by 名無しさん at 2010/03/13 10:19:45
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