橋下市長は正しかった、米兵が日本人女性を二人がかりでレイプか - コメント[3]

相次ぐ米兵による女性への暴行事件や住居侵入事件への対策として、在日米軍幹部に風俗業の利用を勧めたことで批判を受けている日本維新の会の橋下大阪市長だが、またもや米兵による一般女性への暴行事件が発生したこ...  全文を表示

3: Posted by 名無しさん at 2013/05/27 16:54:27

【韓国】 大韓民国政府、国連軍のため慰安所運営~売春婦が外貨獲得政策の担い手だった[11/26]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1322320631/
1 :蚯蚓φ ★:2011/11/27(日) 00:17:11.25 ID:???

大韓民国で売春は違法だが不法ではない。歓楽街の一画に派出所が共存する奇怪な風景は我が国
で目新しくもない。このような乖離はどうして生じたのだろうか?

これに答えるためには先ず国家の二重的売春政策を見る必要がある。パク・ジョンミ漢陽大HK研究教
授(社会学)が今年書いた論文「韓国売春政策に関する研究」は売春に対する国家の意図的沈黙と統
制過程を暴いた。400ページを越える分厚い論文の中で大韓民国政府は売春に一方では違法の烙印
をおしながら他方では放任し、時には積極的に‘女衒(ぜげん)’の役割までした。

国連軍のための慰安所運営

売春を巡る国家の二重的態度は1946年の米軍政期まで遡る。日本帝国主義を追い出した米軍政は
それまでの植民統治との違いを打ち出す必要があった。1946年5月17日に宣言された「婦女子売買
または、その売買契約の禁止令」はそのような背景から出された。公娼制を維持した日帝とは明確に
一線を画する措置に見えた。新生国家の市民たちはこれを歓迎し、1946年5月28日付<東亜日報>は
「朝鮮が解放された以上…遊郭の女性たちが解放されなければならないのは当然のこと」と報道した。

実際の米軍政の意図は違った。ロツィ軍政長官は「(禁止令が)公娼の廃止ではないのはもちろん私娼
には何の関係もない。 …自分自身が自発的に結んだ契約下で従事することは問題ない」と明らかにし
た。すなわち個人が他意によって売春させられるのは違法だが、自発的に売春をするなら公娼であれ
私娼であれ関係ないということだ。米軍は反対に日本強制占領期間から維持されてきた接客女性を対
象とした登録・検診関連規定をそのまま維持した。米軍政の関心は韓国の売春女性と接触した米軍人
の間で広がる恐れがある性病を統制することに限定された。

続く


112: 名無しさん@13周年 2013/05/27(月) 10:39:57.28 ID:miyn5/V90

>>1
>>102の続き
公娼制度を公式に廃止したのは新生国家の立法府であった。南朝鮮過渡立法議員は1947年8月「公
娼制など廃止令」を通過させた。「売春禁止主義」を法として明らかにした最初の事例であった。 ところ
が法の力はあまりに弱かった。 1948年1月<京郷新聞>は「予算は皆無の状態で、中央庁に対し国庫
補助を要請したがこれも見込みがなく嘆くばかりだ」と報じた。

戦争を経て国家は自ら法を破った。政府の1956年資料を見れば、陸軍本部はソウルと江陵など4ヶ所
で慰安所を運営していた。 資料で確認された‘慰安婦’ 数は79人だった。1952年、この女性たちを訪
れた男性は延べ20万4560人だった。 陸軍本部は「(兵士が)異性に対する憧憬で起きる生理作用に
よる性格変化などでうつ病およびその他の支障を招くことを予防するため」と趣旨を説明した。 チェ・ミ
ョンシン将軍も回顧録<死線を越えて又越えて>で「当時、我が国の陸軍は志気高揚のために60人余り
を1個中隊とする慰安婦隊を三、四カ所運用した」と書いた。

政府は国軍だけでなく、国連連合軍のための‘慰安所’も運営した。<釜山日報> 1950年9月の記事に
よれば、馬山市が「数日内に市内で連合軍の労苦に報いる連合軍‘慰安所’ 5カ所を新・旧馬山に設
置することになり、これの許可証をすでに発行した」。当時の政府保健婦防疫局が出した「清掃および
接客営業衛生事務取り扱い要領」資料にも連合軍慰安所と慰安婦に対する指示事項が含まれている。
政府が売春を斡旋した‘女衒’の役割をしたと証言する文書は悲しいことに多数溢れていた。

米軍の代わりをした日本人‘キーセン観光’
>>2-5のあたりに続く

キム・ギテ記者
ソース:[ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大韓民国政府が抱え主だった
http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/30838.html
関連サイト:[ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大韓民国政府が抱え主だった(全文訳はこちらで)
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1567377.html#more
関連スレ:【米韓】元慰安婦とユダヤ人が戦争犯罪を証言=来月米国で[11/22]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1321932690/

続く


118: 名無しさん@13周年 2013/05/27(月) 10:42:17.48 ID:miyn5/V90

>>1
>>102>>112の続き

2 :蚯蚓φ ★:2011/11/27(日) 00:17:32.16 ID:???
>>1の続き
米軍の代わりをした日本人‘キーセン観光’

1960年代に登場したパク・チョンヒ政権は‘革命公約’で売春取り締まりを強化すると公言した。 1961
年に制定された‘売春行為等防止法’は新しい政権の意志を示した。21条からなる売春行為防止法は
国家の売春禁止原則を再確認したものだった。しかし翌年6月、保健社会部は全国104カ所に売春を
許容する‘特定地域’を設置し、その内 9カ所をソウルに割り当てたと発表した。一つの口から二つの
言葉は簡単に出てきた。

国家はなぜ売春禁止原則を守れなかったのだろうか? 1961年交通部企画調整官室が出した公文書
を見ればそこに答がある。公文書は「現在、我が国で最も容易に誘致できる観光客は駐韓国連軍」とし
て"外国人相手ホステス"を対象に教養講習を推進するという内容が含まれている。当時、米軍兵士は
主に日本や香港に休暇に出かけていた。

1961年3月13日<東亜日報>は“我が国により多くの外貨を落とさせるという見地からすべての消耗品
を国産で充当することが理想的かもしれないが…酒も外国酒、裸になった女の子も外国のお嬢さん、
その上外貨まで使うとは…”と嘆いた。国家の先決課題は‘裸になった女の子’を‘国産’に代えるとい
うことだった。 1962年4月25日付<ソウル新聞>はソウル市警が“4千人に及ぶ観光接客営業所(ダン
スホール・キャバレーなど)のサービス ガールたちに対する接客業務教育を実施”したとし、その理由
が“外国人により効果的なサービス”を提供するためのものだったと報道した。

続く


134: 名無しさん@13周年 2013/05/27(月) 10:45:41.57 ID:miyn5/V90

>>1
>>102>>112>>118の続き

3 :蚯蚓φ ★:2011/11/27(日) 00:17:52.20 ID:???
>>2の続き
1966年<新東亜>の記事はもっと率直だった。“洋公主(欧米人相手の接待婦)が持つ巨大な力がある。
日陰に咲いている彼女たちは皮肉にも我が国の国家政策の至上課題になった感のある外貨獲得の一
つの担い手になっている。”<新東亜>は当時全国190カ所の国連軍専用ホールから出てくる外貨が1
年に1千万ドルに達すると推定した。1966年当時、我が国が貿易で稼ぐ外貨は2億5千万ドルだった。

1970~71年、駐韓米軍の規模が1万8千人減った。 政府は非常事態になった。1971年8月、内務長
官が各警察に送った公文書で“保健当局と協力し慰安婦の性病予防策を講じ…教養を強化”しろと指
示した。ところが去りゆく米軍を捉えることはできない定めだった。米軍の空席は‘キーセン観光’をしに
来た日本人が満たした。1965年、韓日修交が契機だった。 キーセン観光が絶頂に達した1977年に韓
国を訪れた日本人の96.8%は男性だった。経済成長に没頭した政府は観光収入と観光客目標値を提
示した。

旅行斡旋業者にも‘割当量’がくだされた。目標を達成できなければ各種恩恵が消えたり、甚だしい場
合には許可が取り消された。1979年<新東亜>は“脱線観光がきわめて当然に当局の黙認の下に成り
立つ。 …妓生パーティーはほとんどすべての日本人観光客らに提供された”と報道した。 もちろん政
府も継続的に一役買った。 1972年ソウル市の資料を見れば、基地村接客営業所女性512人、観光料
亭接客営業所女性1795人を対象に教育した記録が残っている。
(後略)


※ソース↓から。
【韓国】 大韓民国政府、国連軍のため慰安所運営~売春婦が外貨獲得政策の担い手だった[11/26]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1322320631/